私が初めて陶芸に触れたのは大学時代、23歳の頃、出身校であるEastern Washington University の陶芸のクラスでした。日本にいる頃は陶芸というものに触れる機会もなく、自分の勝手な陶芸のイメージだけを持ちそのクラスを受ける事となりました。そこに待ち受けていたのは粘土の持つ多様な表現力と形の多様性、またカラフルな色使いの作品達ばかりだった。その、アメリカの陶芸というものに衝撃を受けると同時に、粘土という表現力の高いメディアに魅了され、今日まで自分らしい陶芸による表現の形を模索し続けてる。
数年アメリカでの作陶を終え帰国後、そのまま作陶を続ける事となるのですが、ある日、日本人の器に対する考え方がアメリカ人の器に対する考え方と異なるところが多いことに気づかされました。それは日本人の器に対する感覚は重さを重視する傾向にあるという事。一般の日本人が器を査定する時はまず、器を手に取り器の重さを確認するのだった。持った感じの重さがそのまま器の価値に比例するような感覚である。そのことが初めはものすごく衝撃的で、なぜそんなにも器に軽さを求めるのだろう?見た目や形ではなく、器を選ぶ基準に重量に重きを置いてる人が多いことに驚いた。
そしてつい先日、アメリカの陶芸家が器の作り方をデモンストレーションしてる動画を見ているときに、その彼が「韓国の器の高台は小さくて最初はなんでかわからなかったけれど、後で考えてみると欧米と違ってフォークやスプーンではなく箸を使う文化なので、器を持って食べる。だから、高台が小さいんだなぁ、欧米は置いてフォークやスプーンで食べるから高台が広いんだろう」と食文化と器の形状のコネクションを指摘していたのを見てとても合点がいきました。高台も重さも、アジア諸国の人たちはお箸を使い器を手に持って食べる習慣がある。それゆえ、重量も高台と同じ様な価値基準で器の査定に関わっているのだなと思った次第です。
最後に、お抹茶碗では高台は器の顔といいます。次に器を眺めるときは最初に高台の細部を見てみてはいかがでしょうか?
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